2008年2月13日(水)
高齢期運動リポート N057
2008年2月は後期高齢者医療制度の中止を確実にする活動月間です。篠崎次男
市区町村の要請文の案…各自作り替えて、市区町村交渉に役立てて下さい。
2008年2月は,後期高齢者医療制度の「中止」を碓実にするための活動月間です。
どこの市区町村でも誰もが取りくみたい課題を具体的に提起します。
1.高齢者に更なる差別が
世界に例のない、高齢者を別枠の医療制度に囲い込み、差別医療を強める「後期高齢者医療制度」への批判は日ごとに高まっています。500をこえる自治体が反対・中止等をもとめる決議をしています。
にもかかわらず政府は,市区町村をして08年4月施行をめざし,さまざまな準備作業を急がしています。
高齢者は,率先してこの制度を確実に中止に持ち込むため,これまで以上に活動の強化・運動の大きな輪づくりが求められています。
一人一人が,反対の意思表示を具体的な行動で示すことがとりわけ必要です。ここに10の行動課題を提起します。その全部とはいいません。ひとつでも二つでも結械です。一人だけでも知りあいと連れ立ってでも,とにかく具体的な中止につながる行動をおこしましょう。
2.最近の動きについて
1)保険料率が決まる
07年11月には,都道府県広域連合(後期高齢者医療制度の運営団体)が,保険料率を決めました。それを受けて,市区町村の高齢化対策課(市区町村によって呼称はさまざま)が,市区町村の被保険者名簿の作成をはじめています。そこには,一人一人の保険料の額を算出して記入されています。08年4月の開始に間に合うように,年金保険者に対して保険料の年金からの天引きの手続きの準備です。作業が済んでいる市区町村では,天引きの手続きまで終えているかもしれません。
2)医療内容も見えてきました
政府はいまだに後期高齢者医療制度が被保険者に提供する医療の内容については一斉の説明をしていません。しかし,この問題を検討している中央杜会保険医療協議会(中医協)では,具体的な検討を終えつつあります。
07年11月2日、26日、08年1月16日で,ほぼその検討は終えたとおもわれています。入院も外来医療も、これまでにない制限が加えられることがほぼ確実になってきています。
3)2月地方議会も開催へ
2月には,市区町村の議会が開催されます。新年度の予算などが審議される大事な議会です。そこに,後期高齢者に関する条例が提案されます。市区町村がこの制度に係わるのは保険料の徴収に関する実務と相談窓口業務に限定されています。その議会で,保険料の徴収についての実務の審議だけに終わらせるのか、市民にあたえる悪影響やその軽減・防止のために市区町村は何をなすべきかの議論をするのか,これまた私たちの議会への働きかけが大事になってきています。
一人でも知人と連れ立っても,団休としても,2月には具体的な市区町村への働き掛けを活発に取り組むことが,強く強く求められています。
3.08年2月・なすべき課題について.
これまで市区町村は,私たちの問いかけや要請に,後期嵩齢者医療制度は,都道府県と国がやる仕事ですから,私たちには何も知らされていません。わかりません。こんな木で鼻をくくるような回答に終始してきました。
2月には,そんな無責任な態度は許されません。市区町村が国から命じられたことであるにせよ具体的な作業をすすめています。その内容を,その当事者である高齢者・地域住民に知らせる義務があります。以下のことがらに,日頃からみなさんが気にしていること、市区町村ごとに異なることがらなども視野にいれて,みなさんそれぞれの市区町村への質問・要請事項を整理・まとめてください。ここでは,一般的な課題の整理です。しかし,行動化に必要な具体的事項は盛り込んであります。
1)保険料
①国保の保険料の比較してみよう。
国のこれまでの説明では,後期高齢者医療制度の保険料は,国民健康保険料を上回ることはない,とされていました。現実にはどうか,市区町村ごとに確かめてください。
概算ですが,年金も含めて年収が150~160万円をこえる人は国保の保険料より低くなります。それ以下の人はむしろ高くなります。所得の低い高齢者の方が数は多い。従って保険料収入確保の意味もあって,所得の低い人への課税率を高くしているとしか思えません。その理不尽さを指摘し、改善を求める必要があります。
東京都では,保険料率を決めたあとで,住民の批判が多くでたので,ごくわずかですが所得の低い人への配慮をし直したという例も生まれています。
保険料の実態を市区町村ごとに明らかにし,その是正のために市区町村長が他に先駆けて広域連合に働きかけるよう要請する。
②低所得者への補助制度を
市区町村ごとに被保険者名簿ができています。つまり,無年金者や年金から天引きできない低年金者の数が明確にされているということです。その数の公表を求め,それらの人びとから保険料を徴収していいのか。問いかけをする。真っ当な人なら,無収入やそれに近い人に保険料を課せることのひどさは理解するはずです。私たちは,広域連合に保険料の減免規定をつくるよう要請しています。その上に,具体的に無年金者等への課税廃止を要求する。市区町村はしてできることは,これらの人びとの保険料をまず肩代わりするこ.とです。ひとつの補助制度としてそのような制度をつくらせる。
保険料の滞納は,年金から天引きできない無年金者等におきます。制裁措置の発動阻止も市区町村の責任で実現する。これらについて強く強く要請する。
被保険者にことわり無しでの天引き手続きをとる非礼に対しても強く抗議をする。なんにもしらされることなく,天引き実務だけ進む。誰が聞いても納得できない仕打ちです。市区町村長に常識ある行動をとるよう求めるべきです。
2)入院の制限
①非人間的な医療区分制の導入
2006年6月,国会を通過した医療制度構造改革法案には,高齢者が長期にわたって入院できる病床を23万床削減する法律が含まれています。最近になって国は,5万床はリハビリ用として残してもいい。削減は18万床にする。こんな「見直し」をしているようですが,問題は,法律が通過した翌月,すなわち2006年7月に,新しい入院制限措置が,診療報酬制度に導入され,いまも効果を発揮していると言う事実です。
まずそのことについて復習をします。
後期高齢者医療制度の創設の目的のひとつに,これで年間5兆円もの75歳以上の高齢者への保険給付費を削減するということがあります。その5兆円の多くを高齢者の入院の制限で実現するとしています。そのため23万床の腐床を減らす法律を制定した0)です。ただ,法律をつくっただけでは,白由開業医制を基本とする「自由社会」の日本では,病床の削減は進まない。そこで診療報酬制度と言う,医療機関の死活問題を政治的に利用して高齢者の入院料を大幅にカットする措置をとったのです。
具体的には,高齢者を入院させる医療機関では,国がきめた「医療区分表」に従い,医療区分の1・2・3,すなわち入院の必要度ごとに三段階にわけることになりました。1の患者には,1日約4500円ほどの,従って月では13万円強の入院医学管理料が値引きされます。医療機関では,病床が維持できなくなる。数年先には23万床の病床が閉鎖されていく。こんな目論見を政府はしています。
厚生労働省は,現在入院中の高齢者の52%は1に相当すると言います。入院患者の半数は入院は必要ないといっているに等しい説明です。
痰が喉に絡む。自分で自力で叶き出せない。機械で吸引する必要があります。1日7回までですむ患者は医療区分1です。自カで食物や水分を摂ることができない。できても必要量が摂取できない。その場合の唯一の治療法として経管栄養という方法があります。それだけでは医療区分1です。発熱しているか嘔吐をくりかえしていないと医療区分2となりません。疲が自力で吐き出せない症状でも,経管栄養を必要としていても,それだけでは,入院できにくい状況がつくられつつあります。
07年11月に開催された中医協で,この医療区分制はあまりにもひどいから撤回するよう日本医師会の代表が要請しました。厚生労働省の事務方は,医療費削減に効果が上がっているので撤回はしませんと明言しています。ということは,08年4月から開始される後期高齢者医療にも同じ制度が導入されると言うことです。
これからは,高齢者は厳しい入院制限に見舞われます。そこで市区町村に,人院制限にかかわる諸問題をしっかり質す必要があります。
社会的退院(医療機関から退院を強要されること)や入院難民(入院拒否・退院強要)の事例を自治体として把握し,困難に直面している住民への救済手段を強く求める。
②市区町村の病床削減計画を質す
06年6月に国会を通過した高齢者用の療養病床の削減法の具体化のための医療計画の改訂作業が,国~都道府県により市区町村に指示がおりています。06年10月現在で,市区町村内にある医療機関に設置されている,介護保険で入院できる病床の数と医療機関名,医療保険で入院できる病床の数と医療機関名を書き出し,介護保険で入院できる病床は全廃。医療保険で入院できる病床は,国の基準に従い削減数を市区町村ごとに算出し,いつまでに削減するか,計画を策定することになっています。
その全体像を公表し,市区町村ごとに,全廃・削減される病院名とその数を公表させる。市区町村としてその影響をどのように予測しているか,おきうる事態への対応策などについても質す。
③市民が路頭に迷わないための具体的な施策を求める
●市区町村内にある公立・公的病院内に,高齢者用の病床を確保するよう市区町村長は具体的な対策を立てる。
●市区町村の窓口に,入院できない高齢者がいつでも相談できるよう相談電話を設置する。各家庭では電話のそばに張り出せる「電話番号表」を高齢世帯,特に一人暮らし・老夫婦のみの世帯に配布し,高齢者の安心を保障する。
電話があったら,市区町村としては入院の斡旋ができないものの,様子見だけは実施し,ボランティアなどにつなげ,孤独死・肺炎死などの悲劇を防止する。
●入院を打診された医療機関からも,入院させられない事例をその都度市区町村に報告してもらい,入院難民の予防につとめる。せめて動物愛護法での犬・猫より劣る措置は即刻廃止を。
3)外来医療の後退
①包括的診療報酬制度の導入が考えられています。
一月○○円ですべての診断・治療を医療機関に請け負わせる制度です。医療内容の劣化が確実視されています。
市区町村長は,政府に対して,包括制の導入をやめ,必要医療を確保するようあらためて要請するよう求める。やがて国保への導入も提起されることが予測されています。国保での導入は検討しない旨約東させる。
②主治医制の導入も考えられています。
主治医以外の医療機関への受診制限にならないよう,市区町村も政府に強く要請してもらう。
4)一部負担について
① 1割負担の撤回を強く求める。
75歳以上の高齢者がなぜ1割負担なのか。市区町村長としてどのように考えるのか質す。
② 現役並の収入のある高齢者は1割負担。
こんな暴挙はしないよう,政府に強く要請するよう求める。
07年10月から市区町村国保などで実施されている現役並の収入のある74歳~70歳までに適用されている3割負担は撤廃させる。
年収230万円前後からの3割負担はあまりにも過酷である旨指摘し,即時撤回をもとめる。市区町村ごとに年収何円の人から高額者になるのか,具体的な数字も公表させる。
5)後期高齢者医療への補助制度を
保険料の減免,高額所得者への3割負担の廃止,入院病床の確保などに必要な経費を計上できるよう補助制度の確立を強く要請する。
6)2月議会対策も
多くの市区町村議会では,保険料徴収条例なので,市区町村としては形式的対応(議員全員協議会での了承で審議ない)ですませる傾向にあります。
後期高齢者医療制度の多くの問題点を検討し,その改善を政府にあらためて.もとめる。市区町村としてできる補助事業は実施する。それらもふくめて内容の審議もするよう強く要請する。監視もする。
7)老人保健法の廃止をめぐつて
①高齢者にたいする市区町村の保健事業がどのように変るのか,その全体像の説明を。さらに,数年先にどのようになるのかについても詳細な情報の公開をもとめる。
②08年度の保健事業とその予算について,案の段階から住民への提示をするようもとめる。特に07年度とどこがちがうかについて,その理由もふくめて説明を求める。
③保健師等の衛生部門の市民サービスの体制の後退が顕著になりつつあります。数年間の変化と今後予測される状況についても説明を求める。
8)高齢者の実態の解明も
市区町村の諸統計では解らない具体的な高齢者の,生活・健康等についての資料の整備とその公開を強く求める。
一人暮らし・老夫婦だけの世帯数。
保険料や税の徴収基準から把握できる所得別高齢者数・世帯数
高齢者の有病率・受診率
そのた,生活と健康・介護の実態が正確に解る資料。
それと対比して市区町村としての福祉行政のあり方についても親切な説明を求める。
高齢者の実態に照らして,介護保険・後期高齢者医療制度がどのように役立っているのか。機能していないか。市区町村としての検討とその結果についても公開を求める。
4.大きな宣伝、大きな運動の輪を
市区町村への要請内容はすべて市民に知らせていこう。
回答の状況をその都度市民に知らせよう。回答がない場合,無いと知らせよう。形式的な回答もそのまま市民に知らせよう。
一つ一つの「事実」を市民に知らせる,それによって知らないことが内容にしていく。知ったら愕然とするひどい内容であることが,市民に知れ渡る。そのため,その都度,具
体的な報告をしていこう。市民に,その都度知らせ,判断を仰ぐ。
大きな宣伝で大きな運動の輸をつくり上げよう。
5.若い世代の明日の医療の姿
後期高齢者医療が悪い内容ですと、数年先には若い世代に拡大されます。悪い内容で開始しますと,やがてそのことが次の医療改悪の理由となります。
そして
・家族の保険料徴収が拡がります。
・入院のときには食と部屋も給付外となります。
・包括制も主治医制も広げられていきます。
若い世代・現役世代は自分のこととして反対・中止の運動に参加しよう。
6.仲間増やし
私たちにできる確実なことは,励ますこと。グチを聞いて悩みを分かち合うことです。そのことで,どれほど人びとは気分が晴れるかわかりません。晴れることで,生きる意欲もわいてきます。
励ますためには,仲間になってもらうことが一番確実です。
署名の数ほど。各団体が仲間増やしに取りくみましょう。
署名・デモ・要請行動で中止を,制度の改悪阻止しを
仲間ふやしで直面している悩みの軽減をはかる。
7.人権思想を豊かに
1973年、日本の国も,私たちも,いまよりはるかに貧しい生活でした。でも,老人医療費無料制度が国の制度として施行されました。財源の問題ではなく,人権思想の問題です。人を大切にする。その心が財源を捻出させます。30年前にできたことが、いまできない理由はありません。
8.おわりに
闘うことが人権思想を養います。人権思想が社会保障制度の充実を促進させます。
学習は闘うエネルギーを生みだします。学習は人びとの諦めの心を払拭させます
学習会講師派遣します日高連にいますぐ相談を
学習会テキスト
①篠崎次男「後期高齢者医療制度」…闘いに役立つ内容満載!
②篠崎次男「メタボ対策に止まらない保健活動」…老健法廃止の意味も
日高連に申し込みを1部500円。(割引制度有り)
市区町村への申入れ書(例示)
後期高齢者医療制度の確実な中止を
昨年11月、都道府県広域連合で保険料率確定しました。それに従い市区町村では年金保険者への保険料天引き要請のための作業も進んでいるときいています。
更には,08年2月議会では市区町村の保険料徴収条例が提案されるとされています。
医療内容につきましても中医協などで明らかにされつつあります。下記の点につき,市区
町村として誠実に回答下さるよう,要請します。
1)保険料
①国の説明では国保の保険料を上回らない。事実はどうか説明ください。年収別に見るとあがる人と下がる人が居るようですが,実態を説明してください。
②市区町村ごとに被保険者名簿ができていると思います。個人の保険料も算定済みだと思います。被保険者になる人,その家族・知人等の問い合わせには誠実に保険料の額を説明してください。
無年金・低年金者の数の公開とそれらのひとびとへの課税中止をしてください。高齢者にことわり無しの天引き要請はしないでください。
2)入院制限の撤廃を。安心のための具体的な手だてを
①政府が実施している入院制限の撤廃を国に要請してください。介護保険で入院できる病床の数といつまでに全廃するのか。医療保険で入院できる病床の数とそれを幾つ減らすのか,住民にきちんと説明してください。
②公立・公的病院内に高齢者用病床をおくよう都道府県に要請してください。
③市区町村の窓口に入院相談電話の設置を。その電話番号を全高齢世帯に配布し.「社会的退院・入院難民」の発生予防。孤独死防止にも役立つ体制の整傭をしてください。
④入所待機者がこの先どうなるのか,市区町村の予測を説明してください。あわせて、管内の医療施設の病床の削減状況・今後の予測を説明してください。
3)外来医療の後退防止を
①医療内容が極めて薄い内容になることのないように,政府へ要請してください。
②主治医制名のもとに受診制限が横行しないように具体的な手だてを求めてください。
③月極めの包括的診療報酬制度が必要医療の切り捨てにつながらないよう要請して下さい。
4)一部負担について
①1割負担の撤回を強く要請します。
②現役並の収入ということでの1割負担の撤廃を実施してください。国保の実施する特定健診・保健指導への一部負担の導入も撤廃して下さい。
5)市区町村として補助金制度の創設を
市区町村で高齢期負担軽減策をとりつつ,国への中止・改善を求める行動を市民と一緒に取り組むよう,強く要請します。
6)2月の議会で対策を協議して下さい。
市区町村の役割は保険料徴収実務と相談窓口機能のみに限定されていますが,保険料徴収条例の審議をとおして,後期高齢者医療の実質的検討をして下さい。そこで貧弱な内容の全容を明らかにし,市区町村民に公開し,その改善策をともに検討するようにして下さい。議員全員協議会での了承に終わらせないで下さい。
7)老人保健法の廃止にともなう影響の公開を
①高齢者にむけての保健事業にどのような影響がもたらざれるのか正確で総合的な説明をして下さい。
②l1年度事業計画(案)の提示をし,健診や保健講座などでの参加者負担増や内容の
後退の有無について説明して下さい。
③保健師の訪問介護指導事業など,市区町村民への保健サービスの内容と体制にに変化がないか説明して下さい。
④次年度~数年先にはどうなるかについても説明して下さい。
8)高齢者の実態・市区町村ごとに再検討するよう働きかけも
①一人暮らし・老夫婦だけの世帯の数
●介護が必要・急病などの際に世帯の介護カ・生活力だけで賄えるのか。
②保険料・税の徴収状況からみた後期高齢者の所得実態の明確化を
●高額保険料・一部負担に耐えられるのか
③高齢者の健康状況の正確な実態の公表と,保健事業の充実の必要性についての方針の説明をお願いします。
人権擁護・社会保障制度の拡充にむけて、市区町村は私たちとともに努力を!
(これは参考資料です。各自、市区町村の状況やこれまでの運動の積み上げなどを勘案し、適宜つくり直して下さい。)
老いのくりごと②
四字熟語の流行をめぐつて 篠崎次男
1.表現を彩る四字熟語
数年前,妙に若者の間に漢字がもてはやされたことがあった。いまでも観光地の土産物として売られているTシャツのなかには,原色の布地に大きく漢字が描かれているものを見かける。何でもカタカナにしてしまう若者達にしてみれば,異文化への憧れのようなものを漢字に感じるのかもしれない。
漢字の流行は,大人の世界にも四字熟語の流行をもたらした。大型書店の辞書の棚には何種類もの四字熟語辞典が並んでいるほどである。
岩波新書の「四字熟語ひとくち話」によれば「その素性も多くは中国の古典に由来します。長い歴史を背負っている分,奥行きがあって,複雑な意味やニュアンスを帯びている」のだそうだ。また、「四字熟語をその出自から見ると,漢籍に由来するもの,仏教の教典や教義に見える語,日本でつくられたもの(現代になって作られたものや西洋語の翻訳も含む)に大別できる」とも解説している。さらに「形容動詞・副詞のような一般語として文中に使われ・表現をくっきり彩る」のだそうだ。とにかく四字熟語は,登かな文章表現に役立っている様である。
しかし、昭和一桁生まれのわたしにとっての四字熟語は,いずれも戦意高揚(センイコウヨウ)のための叱唯激励語としての記憶の方が濃厚である。四字熟語が戦意高揚をめざし「一般語として文中に使われ,表現をくっきり彩った」例を記憶を頼りに書き出してみよう。
2.最初は「武運長久」
わたしが小学校に入学した年に大東亜戦争がはじまった。小学校は国民学校とかえられていた。それは単なる名称の変更ではなく,教育内容そのものが大転換されていた。国語
にしても音楽にしても、むろん体育でも,それは善良なる天皇の赤子(せきし)となり,天皇に命をささげる日本男子の育成に役立つ内容にかえられていた。
わたしの5年生のときに敗戦を迎え,6年で卒業とともに国民学校は小学校と改められた。むろん教育内容も,主権在民・平和主義の育成に転換された。そんな戦時の5年間に,四字熟語はどんなものがあったのだろうか。
一番最初に接したのは「武運長久」(ブウンチョウキュウ)であったと思う。出征兵土のお守りとして持参させる晒の「腹巻」に,虎の絵と武運長久の字を赤糸で多くの人びとに縫い付けてもらう。千人針と呼んでいた。少し年長の近所のお姉さんが腹巻と赤糸のついた針をもって路傍にたつ。その脇で大きな声で「出征兵士(シュッセイヘイシ)のためにご協カをお願いします」と叫んでいた。丁度赤い羽根の街頭募金と同じように。
3.日常動作に「宮城遥拝」
日常動作では「宮城遥拝」(キュウジョウヨウハイ)があった。いまの皇居の方向を向いて,直立不動の姿勢で立つ。体を九十度に折り曲げて礼をする。神主のお辞儀をみるたびにいまでもこの丁寧さを強要されたお辞儀を思い出す。これが授業開始の合図であり,毎朝の義務であった。知らずに宮城にあらせられる現人神としての天皇陛下への忠義のこころが養われる,という仕掛けであった。
そのころキンキン声の首相の叫び声をラジオで耳にする様になった。「挙国一致」(キョコクイッチ)の重要性が訴えられていた。「国民の諸君」というその首相の演説冒頭の呼びかけの言葉が,首相の抑揚をまねてどなるのが流行した。挙国とは「国をあげて」を意味し,一般的には軍事行動によって他国と対する場合に使用された言葉であった。そしてこの国をあげては,ひとえに天皇のためにであり,宮城遥拝のたびにその思いが小国民の心に刷り込まれるのであった。
4.「鬼畜米英」で戦意高揚
鬼畜米英(キチクベイエイ)という言葉が頻繁に使われた。戦争開始直後では,戦争の悲惨さなど実感できない。もっぱら米英の日本への侵略の脅威をあおることで敵愾心を養ったのだ。
国民学校3年生になると,音楽の時間の大半を軍歌の合唱についやすようになった。軍歌とは,軍隊でうたわれる歌,兵士が戦意高揚のためにうたう歌だけではなかった。銃後の守りを固める。未来の兵士を鼓舞する歌も,また軍歌であった。
「戦うぼくら小国民、天皇陛下の御ために、死ねとおしえたチチハハの、尊い教えを良く守り、心に決死の白たすき、掛けて、勇んで、突撃だ」。死ぬために体の鍛錬を怠ってはだめだ,と年中諭されてもいた。「富国強兵」(フコクキョウヘイ)が教室に張り出されていた。鍛練で強兵をめざすことが自然にこどもの胸のうちに定着していた。この言葉とセットで記憶されたのが「忠孝両全」(チュウコウリョウゼン)であった。天皇への忠義と親への孝行の両方を全うすることの大切さが教えられた。死ぬことが親孝行になるという矛盾した問題に目を向けるほどには成長していなかった。四字熟語の響きだけで刷り込まれていったのだった。
体の鍛練のときに必ず指摘されたのは「臍下丹田」(セイカタンデン)に力をいれろ,ということであった。臍下丹田とは読んで字のとおりでへその下,つまり下腹部である。そこに力をいれると健康と勇気に恵まれる,と教えられた。
当時のこども達は,忠臣・楠木正成物語は講談社の絵本で幼児期に親しんでおり,国民学校では正成のこどもの正季の辞世の歌につかわれた「七生報告」(シチショウホウコク)という言葉の解説が加わり,一族挙げて国のためにつくすことの偉大さが教えられた。七生とは天皇のために七たび生まれ変わって国家のために尽くす・・という意味だ。
5.「王道楽土」で戦争擁護
こども心にも,戦争への不安がわいてくる。なんの為の戦争なのかについての説明にも四字熟語が多用された。
満州国(中国の東北部)の建設については「王道楽土」(オウドウラクド)のためであると教えられた。満州国の人びとの生活を安定させ、不足なく家族がくらせる国づくりを日本が応援しているのだと教えられた。そのころの四字熟語として覚えたのが「四海兄弟」(シカイケイテイ)。四方の海とは世界のことであり,他国の人も兄弟とおなじだ。「善隣友好」(ゼンリンユウコウ)であり,「八紘一宇」(ハッコウイチウ)つまり世界を一つの家にする。このように戦争の正当性を意昧も良く分からずに信じるように仕向けられていった。
6.「天地長久」を願う天長節
現在では天皇誕生日,昭和天皇の誕生日はみどりの日と甘い呼び方がされている。小国民は「天地長久」(テンチチョウキュウ)を願って、天長節と呼ばされていた。天も地も永久に変ることがない。それと同じように天皇の御世が末永く続くのだ。そんな意味だ。
君が代は、千代に八千代に、さざれ石の巌となりて、苔のむすまで、と,天長節にはいつも以上に厳粛に歌わねばならなかった。
戦争に敗戦の蔭が漂うようになった国民学校5年牛では,心を鼓舞する四字熟語が頻繁に使われた。「乾坤一擲」(ケンコンイッテキ)おもいきっていちかばちかの勝負をする。元寇の時と同じように神風が吹く。理科研究所で新型爆弾が発明されつつある。そんな噂話を真剣にしあい,乾坤一擲頑張ろうと,天突き体操(両手を天に向かって突き上げる)をしながら叫ばされた。「捲土重来」(ケンドジュウライ)など難しい漢字も当時の流行語のひとつであった。
7.耳での現解を助けた四字熟語
その当時,良く使われた言葉をおもいつくまま挙げてみよう。「建艦献金」(ケンカンケンキン)。小遣いをためて軍艦の費用に献金を,毎月8日・開戦記念日(大詔奉戴日タイショウホウタンビ・と呼ばれていた)に学校で集められた。「本土決戦」(ホンドケッセン)。米軍は千葉県の九十九里浜に上陸するとされ,小国民も決死の覚悟が求められた。その他、「国旗掲揚」「学徒動員」「勤労奉仕」「米英撃減」「滅私奉公」「空襲警報」…
これらの言葉が,「構造改革」「行政改革」「自己責任」「市場原理」「規制緩和」などの言葉と重なってくる。
当時、ひらがな言葉で「欲しがりません勝つまでは」があった。しかし,四字熟語の方がはるかに心に刷り込まれる度合いが強いようであった。四字熟語は決してかっこよいものではない。毎朝、国民学校の朝礼で難しい漢字と読み方だけが教えられた。耳で聞く。その限りでは四字熟語の多くは快く響く。ある種の音楽的機能を果していたのだろうか。
漢字は美しい日本語である。内容は豊かで,奥行きのある表現に最適な言語であり,日本の豊かさのひとつに挙げられよう。だが,かっては,その奥行きの深さが利用されて,美とはもっとも無縁な戦争に役立てられた歴史のあることも忘れてはなるまい。いま、四字熟語が多用され始めているときだけに,この思いを強くする。
みなさんに読んでいただいて、活用していただきたい。
がんばりましょう
日本高齢者運動連絡会 事務局長 山田栄作
最近のコメント