「いのちの灯」のつどい
2008年11月23日(日)
老人医療費無料化発祥の地 記念碑
「いのちの灯」建立25周年のつどい
11月23日(日)、数日前に雪の降った岩手県西和賀町(旧沢内村)にて、老人医療費無料化発祥の地の記念碑「いのちの灯」の集いが開催された。遠くは愛媛県、兵庫県からも参加があり、150人が参加した。
主催者を代表して高橋典成さん(NPO法人輝けいのちネットワーク代表)があいさつ。来賓として高橋繁さん(西和賀町長)、佐々木正裕さん(西和賀町議会議長)、篠崎次男(当時の記念碑建立実行委員長・元日本生協連医療部会事務局長、現日本高齢者運動連絡会顧問)の三氏があいさつしました。その後、大勢の参加者で記念撮影。(記念集会の趣旨はここをクリック)「08112303.pdf」をダウンロード
25周年の集い
太田老人福祉センターに会場を移し、25周年の記念の集いがひらかれました。高橋典成さん、上坪陽さんが司会、11人の方々が「いのち」をつなぐリレートーク(全国の活動交流)を行いました。
紹介された、深澤晟雄村長語録「08112301.pdf」をダウンロード
当時の沢内村地域包括医療実施計画「08112302.pdf」をダウンロード
・ 増田進さん(元沢内病院長)
・ 及川和男さん(「村長ありき」著者)
・ 照井富太さん(西和賀町地域保健調査会長)
・ 藤深昇さん(岩手愛児会会長)
・ 伊藤洋さん(福島県高齢者運動連絡会事務局長)
・ 佐々木孝道さん(NPO法人 深澤晟雄の会副理事長
・ 遠藤寿美子さん(盛岡医療生協副理事長)
・ 渡辺孝文さん(岩手自治労連書記長)
・ 鈴木るり子さん(岩手看護短大教授)
・ 森拓治さん(記録映画「いのちの作法」テーマ音楽担当:ウクレレ演奏
増田進さんのお話
「 沢内村に40年仕事をしていた。雪の中、本当に遠くから駆けつけていただいてありがとうございます。しかし、会場見渡してみると、沢内の方が少ないのが気にかかります。私がいるときに作った深澤晟雄の胸像であり、碑でもあるのです。碑のデザインにも私の意見が入っています。私が設計した沢内病院ですが、今は病院の前に薬局てありました。なんでこんなところに、病院の中に薬局があるのに、これ非常に象徴的だと思います。何かといいますと、今どこの医療機関にも院外処方、これ病院や薬剤師のメリットはあるんですね。だけど、患者さんから見たら不便なんですよ。まさか、沢内みたいな田舎で町のまねはしないだろうと思っていたらね。病院の一つ屋根の下で薬局やってたらいいんですよ。誰のためにやってるんでしょうか。今、医療は非常に大変で、救急車があちこち行ったり。同じように沢内でもお産で脳内出血したんです。奈良や東京のように死にはしません、助かっています。子供もお母さんもね。産婦人科の医者がいたわけではありません。普通の医者と助産婦さんがいて、盛岡の病院からも協力してもらって助かった。断って助かることは無いのです。
私たちがやってきたのは沢内の病院。沢内の病院はぬらの人たちのために医療をやる機関なんですね。下手をすると、沢内にある病院になってしまう。みんな右習えで、何か言うと病院の経営、経営というもんだから、形だけ整えても実際そんなのはプラスにならない。むしろ、利益を受けるというか、サービスを受ける年寄りとか患者さんにとってはマイナスの方がはるかに大きい。トータルに考えればああいう形はでてこないと思うのですが。やっぱり現実はそうだなあっと思って。みなさんともっと議論をしていけばいいのかなと思います。私も仕事の後半は役場にずいぶん怒られました。憎まれました。つまり、国と違うことをやっているわけですから、ずいぶん煙たかったんだろうと思います。国は行革委員会というのをつくり、向こうの部屋で行革委員会が開かれました。そのときの委員長は「老人医療費無料化はそろそろ聖域ではないぞ」といいました.これまで、聖域としてもってきたんです。役場はそれを止めさたかったんです。行政側はね。聖域としてきたからもったんです。その後しばらく持ちましたけれど、それは何かというとみなさんのお力なんですね。なんと言うか、世論というか、沢内村は生命行政の村というネームバリューといいますか、それが安易に村の行政を後退させなかった。それが風化してきた。私も当時言われたんです。「先生、村の人が健康になるとか、医療費が安いとか、そんなことは役場にとって何のメリットもありません。」と。だけど、健康はすべての基礎でしょう。合併問題もそうです。役場にとってメリットであって、何ら住民のメリットではないんです。だから今の誠司の流れとはやる側にとっての都合で全部やられていますから、やられる側にとっては何もメリットは無いんです。
あらためて、こういう議論をしないと。ですから、自助がどうの公助がどうのといってますけれど、かつての沢内村は公助の助け合いの非常に理想的なすばらしい形をとった、行政も・サービス側も・住民も。やはり行政がそうなれば住民も意見をいうようになるんですよ。押さえようと思えば何もできません。だから、そういう意味でもあの頃の40年間の沢内村は本当に理想的なお互いに助け合う姿だったと思います。ところが、今はすっかり息が詰まっていますんで、だんだんギラギラした方に行かざるをえないだろうと。だから、その先を考えて、もうちょっと長生きしたいなと思っています。(山田メモによる)
遠藤寿美子さんのお話
増田先生に中学2年のとき盲腸を手術してもらった。そして、病院でも増田先生に教わって勉強した。いろいろ教わって、今の私の原点になったのは、深澤晟雄村長さんが中学の卒業式のときに言われた言葉です。
「みなさん、これからは民主主義の世の中だよ。民主主義というのはみんなが国を治めることだ。そういういい国をつくるためには、みなさんが賢くなければいけないんでよ。そのために人は勉強するんだよ。本当にすばらしい社会を作るために、君たちはいっぱい勉強しなさい。」と教わった。それに私はすごく感銘受けて、これは勉強しなくちゃいけないなと思いました。
さて、自分は30歳のときに初めて医療生協というところにふれました。医療生協は自分たちでお金を出し合って病院を作り、自分たちの病気を病気にさせないための健康づくりをする、もしも困ったらならば病院に行って治して社会復帰をするんだよっていう風に書いてありました。これは、増田先生のにおいでになった加藤院長が一番先に言った言葉だったんですね。「人間が健やかに生まれて、生きて、死ぬためには5つの段階がある。一つは健康増進、一つは予防。そして検診、そして治療、そして社会復帰だ」と書いてあった。それを見ていたので、私は医療生協の求める医療というのはこれなんだと思い、すぐに医療生協に入らせていただいて、今まで医療生協のことを一生懸命やってきました。病院というのは健やかに生きて人生を全うさせるために、その中核になるのが病院だという風に言ったんですね。その時に私は自分が持っている医療生協の病院(川久保病院)も、そうあるべきだなあと思いました。もう一つ言われていたのは、その5つの段階をきちっとやるためには住民自らその健康をつくるという立場にたたなければいけない。それが地域医療というものだと。その地域医療と病院の中核である村民のいのちを守るということが一体になって、はじめてその5つが実現されるんだよっていわれたことを、私は今も自分の心の中に入れながら、そういうことを進めています。
しかし、みなさん。今の社会はどうでしょうか。先ほど深澤晟雄資料館を見てきました。30年代に作られた映像も見てきました。あのとき、私は本当に子供で、2m以上ある雪の中を学校に1時間くらい歩いて通って、ずっと歩いて通いました。その雪の中で、絶対克服できないものは自然環境だと思っていたのに、その2mの雪を吹き飛ばすブルドーザーの音がしたときに、ああ人間てやろうと思えば何でもできるんだなと思いました。あきらめてはいけないという風に思いました。そういうことをもって、今を迎えてみると、今の社会のありようからみると、深澤晟雄さんが言ったように、こういう社会をつくるのは君たちなんだからといわれたことから見るならば、自分たちの努力がたりないために、今のような社会になってるのかなという思いもしますけれども、私たちは決してこのままでは終わりたくないと思っています。先ほど照井富太さんが「いのちの灯を永遠に」と書かれたという、そしてそのとなりに「国がやらなければ私がやりましょう。後で国がついてくるでしょう。」とおっしゃったけれども、私は健やかに生きる、健やかに育って、健やかに死ぬまでそういう風な社会を、本当に全ての人間ができるように頑張りたいと思います。それで、国がやらなければ私がやりましょうとは言えませんが、国がやらなければ私たちが、ここにいる皆さんが中心になって、日本中に発信してやっていきたいなと思います。そういう社会をつくれば必ず国は変わるんじゃないかなという思いを込めながら、今日みなさんのお話を聞いていました。これからも頑張りたいと思います。みなさん、一緒に頑張って、「本当に生きてて良かった」という社会を作りたいと思います。どうぞよろしくお願いします。(山田メモによる)
交流会で
夜の交流会で、藤谷恵三日本生協連医療部会事務局長があいさつ。山田もあいさつしました。
地元紙も報道(参考に)「08112401.pdf」をダウンロード 「08112402.pdf」をダウンロード
日本高齢者運動連絡会事務局長 山田栄作
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